宮城被災地に行ってきました
2011年宮城、福島での大地震のあった翌日3月12日に宮城県に行ってきました。
仙台に入りますと沿岸部の街に煙が上がっているのが見えました。
この奥が志津川村で役場、消防署、警察署、学校などがある町だったのですが壊滅状態です。撮影したところは海岸から5キロ以上離れたところですが、津波で完全にがれきの山と化しています。

消防車、救急車、警察車両、自衛隊車両など100台以上が集結して必死で生存者の捜索をしておりました。
私が入った南三陸町は、3月16日午前7時現在で、未だに電気は来ておらず携帯電話も通じない状態でした。
何よりも宮城県福島県とその周辺ではガソリンや灯油が手に入ら無い状況でした。
入ったとしても停電のためポンプを手動で動かして給油しますので、待ち時間がとてもかかりスタンドの周辺はすさまじい混雑です。
気温は夜はマイナス1℃で16日は雪景色となってしまいました。
携帯電話については、被災時からAUだと時々狭いポイントでアンテナが立つことがありますが、ドコモ、ソフトバンクは完全に通じません。ドコモについては、16日の午前に復旧作業を行ったらしく、通じるところが出てきたようです。
水道は13日に復旧したのですが、電気が来ていないためポンプでくみ上げることができず、水が出る蛇口が限られ町の人たちで共同で使っておりました。
トイレの水は流すことができません。
5日ほど登米東和ICの近くで滞在したのですが物資を運ぶトラックやタンクローリーの姿は見られず、まったく食料や生活用品が足りません。
携帯電話や電気もないため情報が全く入らず家族の安否や食料の配給などの情報がわからない状態です。
また、被災者の方の多くは、お金を持っていない方が多く、持っていたとしてもガソリンがないため買い出しもいけない状態です。
以前にこのブログで東北ツーリングを紹介しましたが、あの時の町がこんなことになってしまうとは・・・。
本当に人の温かさを教えていただいた地域でした。
早く被災者の皆さんが普通の生活に戻れるよう願っております。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
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