東北大震災から、早くも?やっと?六か月。
亡くなった方と、愛する人を失った方の思いと生活は、
想像を絶する過酷さと、やりきれなさがあることと思います。
そして、福島原発の関係で、故郷を離れざるを得なかった方々も同じでしょう。
宮城県で仕事をしているときに、携帯のワンセグで原発が吹っ飛び、
放射線の影響があることを知った時、
私はなにか「運命のいたずら」を感じずには、いられませんでした。
以前に900ニンジャの第二次復活を紹介しましたが、
900ニンジャ復活の経緯は、妻の弟が肺がんの告知を受けたことにありました。
5年前、義弟が肺がん治療で入院することになり、妻が看病のため車を使いたいと・・・。
そして、私は900ニンジャで通勤するために突貫でニンジャを治したのです。
実家の軒先で、三日三晩、900ニンジャをいじっていた私に、
母は、
よく、集中力が持つねー
と言いながら、バイクが濡れないようにブルーシートをかけてくれました。
その時、
実はさー・・・
と、妻からは口止めされていた、義弟の病気について相談したんです。
母は、
若くして、かわいそうに・・・
とボロボロと涙を流しながら話を聞いてくれましたっけ。
それから、年を越した2007年。
母が肺がんの告知を・・・。
一緒に医師からの告知を受けた時、私は何も言ってあげることができませんでした。
以前から私が義弟の病気について話をしていたので、
母は、肺がんについてかなりの知識がついていたと思います。
そして、告知された時、母は自分の病状が思わしくないことを悟ったことでしょう。
私も、自分を恨みました。
そして、義弟と母の看病のためそれぞれの病院を回る毎日が・・・。
義弟は、放射線機器を取り扱う仕事をしており、
仕事で残留放射線を吸って、発病したにちがいないので因果関係を調べてほしいと
病床で私に託されました。
そして、放射線関係について勉強することに・・・
グレイ、シーベルト、半減期、ガラスバッチ等々・・・
今では、当たり前に聞く言葉ですが、当時は専門家以外は聞かない言葉でしたので理解するのに
大変でした。
そして、母と義弟が他界して間もない、2011年3月11日。
再び放射線について聞くことに・・・
何の因果か?運命のいたずらか?
2人の大切な人を看取って思ったことは、
今、この時を精一杯、生きること
生きたくても生きれない人、志し半ばで去ってしまう人
その人たちから見たら、今の政治家にこう言うのでは・・・
死ぬ気で頑張ればできるはず!
今、まさに普通の生活することもままならない人が大勢
日本経済も極冷え
訳のわからんことで、マスコミに上げ足を取られている場合ではない!!
と言いたい一日でした。

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